1月1219:00

2025年1月12日(日)
開場 19:00 / 開演 19:30
■料金:チャージ 3,300円+1ドリンク(500円)

音楽に洋/邦の境目が無くなって久しい。翻訳ソフトや字幕サービスは普及し、瞬時に時空を超えて「音楽」は各々の耳元にやって来る。
かつて、乏しい材料から想像力を膨らませ、言葉の綾や襞や響きに捕まってしまった者は、
安っぽい誤訳や間違った引用の邦題に立ち向かうべく、ターヘルアナトミアを編むに似た、蟷螂の斧の如き努力を重ねたが、今やその形跡すら薄れてきてしまった。
「洋楽」というジャンル名は、果たしてもう死語である。それを心に刻んだ者たちも記憶を順繰りに失いつつある。

これはかつて「洋楽」から多くのものを学び取ろうとした者らの、足掻きと願いの僅かな痕跡の記憶である。
そこに「その先」を聴き取ろうとした者らは果たして今どうあるのか、を嗤わば嗤え。
そして集え!洋楽が分かってしまう者たちよ‼︎
(佐藤幸雄)

洋楽はどんなことを歌っているのか。
 それを知る方法はいまやいくつもある。Geniusという歌詞サイトに行けば、英語の歌詞は載っているし、ネイティヴにとっておもしろい箇所には誰かが解説を書いてくれている。翻訳ソフトを通せば、ある程度のことはわかってしまう。歌の内容や背景を知る、という目的でなら、邦訳を歌う必要はもはや失われつつある。
 ではもはや洋楽を日本語にすることは無意味か。そんなことはない。音楽は時間芸術であり、タイミングの芸術だ。ことばは、歌詞カードを見るようにいちどきに目に入ってくるのではなく、音楽の時間のなかで、徐々に明かされる。たとえ知っている曲、何度もきいた曲でも、きくたびにハッとさせられるのは、ことばが、思いがけないタイミングでやってくるからだ。問題は、外国語で書かれた歌には、外国語のタイミングがあり、そのタイミングは日本語に訳すことによって別物になってしまうことだ。たとえば、英語と日本語では主語と述語と目的語の語順が違う。Let it be をあるがままと訳せば、意味は通るが、「Let it」で「それをどうするのか?」と期待させてから「あるがままで be」と落とす絶妙な時間感覚は伝わらない。「Let it be」という短いフレーズに込められた、期待の後にくるあっけなさを、どう日本語の語順で表現するか、という挑戦が、邦訳にはある。
 意味の連鎖だけではない。「Let it be」の語感「れりびー」によってもたらされるさりげなさもまた、「Let It Be」の魅力だろう。これをどうやって、日本語にするか。
 というわけでわたしが思いついた訳は、「テレビー」。なんも訳せてないやんけ!そんなわけで、邦訳にはまだまだ可能性があると考える所存です。
(細馬宏通)





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